好きの純度が上がるほど不安も増す
推しを想う時間が長くなるほど、感情は研ぎ澄まされる。最初は誰かと語り合えることが楽しかったはずなのに、気づけば胸の奥にざらつきが残る瞬間が増えていく。その変化に自分自身が追いつけず、「このままで大丈夫なのか」と怖くなるのである。
境界線は突然ではなく、静かに越えられる
何か大事件が起きて一線を越えるわけではない。小さな違和感の積み重ねが、ある日振り返ったときに「戻れない場所」になっている。比較、被害意識、優劣の想像。これらが日常に溶け込んだ時、境界線はすでに越えられていることが多い。
「認定」は他人ではなく自分の内側で起きる
周囲からどう見えるかよりも、自分がどう感じているかが決定打になる。楽しさより警戒心が勝つ、交流より距離を選ぶ、その選択が常態化した時、自分の心はすでに答えを出している。認定とは烙印ではなく、状態の自覚に近い。
怖さの正体は、孤立への予感
同担を避けることで守れる感情がある一方、失われるつながりもある。そのトレードオフを直視した瞬間、人は怖くなる。好きで始めたはずの世界で、好きが原因で狭くなっていく感覚。それが恐怖の正体である。
立ち止まる勇気もまた選択である
進むだけが答えではない。感情を否定せず、距離や関わり方を調整することも可能だ。怖いと感じられるうちは、まだ選べる余地がある。自分の好きと、安心できる居場所の両立を模索する時間は無駄ではない。
同担拒否になっていく自分が怖いに関する口コミ
「最初は楽しかったのに、最近は同担を見るだけで疲れてしまう自分が怖い」
「嫌になりたくないのに、心が勝手に壁を作っていく感じがする」
「この感情に名前がついた瞬間、戻れなくなりそうで不安になる」
「好きが深くなるほど孤独になる気がして、素直に喜べない」
「同担拒否になりたくないと思うほど、その方向に進んでいる気がする」