同担拒否が許される風潮になってきてるのはおかしい!当たり前になる違和感

近年、同担拒否が一つのスタンスとして広く受け入れられつつある。個人の嗜好を尊重するという名目で、その態度が無条件に肯定される場面も増えた。しかし、それは本当に健全な流れなのだろうか。私はこの風潮に強い違和感を覚える。

尊重の名の下で失われるもの

多様性を認めることは重要である。だが、尊重が免罪符となり、他者への配慮や対話の機会を切り捨てるなら本末転倒である。同担拒否が正当化される空気は、同じ対象を愛する者同士の交流を萎縮させ、コミュニティの厚みを削いでいる。

排他性が生む分断

本来、共通の関心は人をつなぐ力を持つ。にもかかわらず、排他性が称揚されると、ファン同士は「仲間」ではなく「潜在的な敵」へと変わる。結果として、安心して語れる場は減り、声の大きい一部の価値観だけが残る。

市場とプラットフォームの責任

この風潮は個人の問題に留まらない。アルゴリズムや承認欲求を刺激する設計が、強い態度表明を拡散しやすくしている。過激な線引きほど注目を集める構造が、同担拒否を“正解”のように見せてしまう。

受け入れ直すべき線引き

すべてを許容せよという話ではない。だが、無条件の肯定が続けば、対話の余地は消える。尊重とは距離を置く自由だけでなく、共存を模索する努力も含むはずである。今こそ、その線引きを見直す時だ。

同担拒否が許される風潮の口コミ

「同担拒否が普通みたいに言われると、安心して好きだと言えなくなる」
「配慮のつもりが排除になっている気がしてモヤっとする」
「拒否する自由はあっても、称賛されるのは違うと思う」
「同じものを好きな人と話せない界隈は正直つまらない」
「多様性を盾に冷たさが正当化されているように感じる」