同担拒否を抱く瞬間はいつか
同担拒否という感情は、常に強く意識しているものではない。むしろ、ある出来事をきっかけに突然輪郭を持ち始めることが多い。推しへの思いが深くなったとき、他人の言動が以前より気になるようになったとき、自分の中の感情が予想以上に独占的であると気づかされる。その瞬間、人は初めて「拒否」という選択肢を意識するのである。
比較される不安と自己防衛
同担を前にしたとき、多くのジャニオタが無意識に感じるのは比較への恐れである。愛の深さ、歴の長さ、現場の数、グッズ量。比べるつもりがなくても、比較される構造の中に放り込まれてしまう。その状況から自分の気持ちを守るため、距離を取るという判断に至るのは自然な流れである。同担拒否は攻撃ではなく、防衛反応に近い。
推しとの関係を「聖域」にしたい心理
推しへの感情は極めて個人的なものであり、他人に踏み込まれたくない領域でもある。解釈、思い出、救われた瞬間、それらを共有できないからこそ大切にしたいと感じる。同担拒否には、推しとの関係性を守りたいという切実な願いが含まれている。他者を排除したいのではなく、自分だけの聖域を維持したいのである。
嫉妬と罪悪感の同時発生
同担に対して芽生える感情は単純ではない。嫉妬を感じる自分を嫌悪し、そんな感情を持つ資格はないと思い込むこともある。その葛藤の末に選ばれるのが「関わらない」という選択である。同担拒否は、感情の整理が追いつかない中で導き出された、最も衝突の少ない方法なのだ。
同担拒否は変化する感情である
この感情は一生固定されるものではない。環境や年齢、推し方の変化によって和らぐこともあれば、逆に強まることもある。重要なのは、同担拒否を良し悪しで判断しないことだ。それはその時点の自分の心の状態を映す鏡にすぎないのである。
同担拒否の口コミ
「同担を見るとしんどくなるのは、推しへの気持ちが軽いからじゃなくて重すぎるからだと思う」
「比較されるのが怖くて、同担とは距離を取るようになった。それで心が楽になった」
「同担拒否は性格の問題じゃなくて、自己防衛だと気づいた瞬間に救われた」
「推しへの解釈を否定されるのが怖くて、同担と関われない」
「嫉妬する自分を見たくなくて、同担を避けているところはある」
「同担拒否だけど、同担が悪いとは一度も思ったことはない」
「今は拒否しているけど、いつか変わるかもしれないと思っている」